ゆでたまご
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1985年3月に小学館漫画賞を受賞。 | 1985年3月に小学館漫画賞を受賞。 | ||
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2008年3月26日 (水) 13:53時点における最新版
目次 |
嶋田隆司
(『熱闘』では金山隆司)原作担当。昭和35年(1960年)10月28日、大阪市西淀川区に生まれる。
幼少時
- ちょっときかん坊
- 幼稚園でも女の子にキスを迫るなどませた子供
- テレビ好き、『プレイガール』がお気に入り番組
- 漫画をよく読み、自分でも描いていた
中井義則
作画担当。昭和36年(1961年)1月11日、大阪市西成区に生まれる。
幼少時
- 小学校入学前からの野球少年、プロを目指していた
- 絵を描くのが好き
出会い、小学校時代
小学校4年生の末、中井が嶋田の通う住之江小学校に転校してくる。通学バス内で知り合う。小学5年時、中井が嶋田の家へ遊びに行き、嶋田の描いた『キン肉マン』を気に入り意気投合する。
中高生時代
南陵中学に進み、合作を始める。中1でアクション漫画『野獣の牙』を描いたのをはじめ、野球・動物・空手・純愛・プロレスなど様々なジャンルに挑戦。中2で初めてペンで描いた『ラーメン屋のトンやん』が近鉄漫画賞に入賞、当時のペンネームは元山隆義(もとやま たかよし)。
初芝高校に進学し、高校を出たら漫画家になることを目標に投稿を続ける。昭和53年(1978年)高3の秋に『キン肉マン』が赤塚賞準入選。
デビュー後
昭和53年末、赤塚賞の授賞式・激励パーティに出席。翌年、『キン肉マン』連載決定。
就職先は既に決まっていたが、編集長らが直接説得に訪れる。『キン肉マン』は翌昭和54年(1979年)5月連載開始。
1年間は嶋田が大阪、中井が東京と別れて描いていた。翌年嶋田も上京、当時はアシスタントなし。集英社の「執筆室」の常連で、7日間カンヅメということも。
連載1年でアシスタントが1人入り、のちに2人、3人と補充。昭和56年(1981年)冬に、四谷に料亭を改造した仕事場を借りる。それまでは成増の四畳半で羽蟻に悩まされたり、集英社の会議室で寝泊まりするなどしていた。1983年に仕事場を新宿に移す。1984年当時はアシスタント4人(『熱闘』)、1985年に5人(『名鑑』)。
1985年3月に小学館漫画賞を受賞。
『熱闘』の仕事場イラストには当時のアシスタントも描かれている。チーフ・大坪(おおつぼマキ)、伊藤、竹内、河田。担当編集者の高橋俊昌の姿も。
出典
- 週刊少年ジャンプ特別編集『キン肉マン熱闘スペシャル』集英社、1984年8月25日、雑誌29936-8/25、79 - 82頁。
- ゆでたまご「ゆでたまご先生のすべて」『キン肉マン 闘将!!拉麺男 超人大名鑑』集英社〈ジャンプコミックスデラックス〉、1985年7月15日、ISBN 978-4-08-858125-5、288 - 291頁。