Copyrighted:フィギュア王 No.119 インタビュー

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オリジナル: 『フィギュア王 No.119』ワールドフォトプレス、2008年1月30日、ISBN 978-4-8465-2701-3、36・54-57頁。

フィギュア王』のキン肉マン29周年記念特集で掲載されたインタビュー。アニメ主題歌を歌った串田アキラアニメのシリーズディレクターを務めた今沢哲男川田武範ゆでたまごの原作・嶋田隆司。

目次

串田アキラ

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オリジナル: 「伝説超人インタビュー (1) 串田アキラ」『フィギュア王 No.119』ワールドフォトプレス、2008年1月30日、ISBN 978-4-8465-2701-3、36頁。
――まずは子供番組の主題歌を歌われた経緯についてお聞かせ下さい。

串田: コロムビアレコードさんで「マッドマックスのテーマ」を歌わせていただいたんですが、それを聞いた渡辺宙明先生が「この歌手なら特撮も大丈夫だろう」とディレクターの方に推薦してくれたんですよ。それで『太陽戦隊サンバルカン』、続いて『宇宙刑事ギャバン』の主題歌を歌わせていただいたんです。その後の『キン肉マン』は友人の芹沢廣明が作曲を担当したので「面白そうだな」と思ってお受けしました。

――一般の歌に比べてアニメソングの難しさというのはあるのでしょうか?

串田: 初めて歌った『太陽戦隊サンバルカン』は、以前に歌ってたリズム&ブルースと違い、子供向けのカッコ良い歌い方が分からず苦労しました。でも『キン肉マン』は面白かったですね。全てを撮り終えたときは、自分でも「スゴすぎる!」って思ったくらいです(笑)。エンディングの「肉2×9ROCK'N ROLL」はコミカルに「ワァ~ッ!」と大騒ぎで歌ってましたが、収録時は「こんなの売れるのか?」って思っていましたね(笑)。

――『キン肉マン』を歌う上で気をつけた部分などはありましたか?

串田: 最初のオープニングやエンディングは「強さ」よりも「明るく」「楽しく」を心がけました。歌というものは楽しくなければならないという意識がありましたから。

――「キン肉マン Go Fight!」は「ドジで」「つもり」といった合いの手も特徴的でした。

串田: そうですね。先日ゆでたまご先生と飲んだ時にもその話になったんですが、作詞の森雪之丞さんは「合いの手」の部分をとても気に入っているそうです。本当にあれは面白いですね、歌っている僕自身もズッコケますから(笑)。ステージでやるとファンとの掛け合いになるんですよ。

――続く新主題歌「炎のキン肉マン」についてはいかがですか?

串田: 「Go Fight!」よりも「強さ」を強調しました。「行け~っ!」という迫力があって凄かったですね。出だしの部分からパワーを出さなければならなくて、歌っていて結構疲れました(笑)。

――そして、最後の「キン肉マン旋風(センセーション)」は?

串田: 「旋風(センセーション)」は凄いですよ。叫びますからね(笑)。でも当時は野球の影響であまり放送されなかったようで、ファンの中では「レアな曲」というイメージがあるようです。

――ライブなどでリクエストが多い曲は?

串田: やはり「炎のキン肉マン」です。でも「Go Fight!」も意外と人気がありますね。

――アニメはご覧になってましたか?

串田: 見てましたよ。やっぱり面白かったですよ。特に「牛丼一筋~」という「牛丼音頭」は最高でしたね(笑)。原作コミックスも読みましたが、アニメになって声優さんの声で喋るとさらに面白く感じました。

――「牛丼音頭」の話が出ましたが、串田さんは牛丼はお好きですか?

串田: 飽きるほど食べましたよ(笑)。赤坂で毎日ライブをやっていたときは、短い休憩時間でも食べれる牛丼はとても重宝しました。また『キン肉マン』のイベントをやっていた当時は、よく吉野家さんから差し入れをいただいてましたね。

――あと『キン肉マン』ではテリーマンリキシマンカメハメブラックホールなどのテーマソングも歌われてましたが……。

串田: ファンの方からのリクエストが多いんですよ。先日もファンとのカラオケイベントで、みなさんにリクエストされてビックリしました。レコーディング後はほとんど歌わなかったので、忘れてしまった曲も多いんですよ。ファンの方には申し訳ないんですが(笑)。

――串田さんにとっての「ヒーロー像」とは?

串田: 子供にも大人にも伝えることは同じだと思うんですが、やっぱり「優しさ」です。「強さだけじゃダメだ、優しさが必要なんだ」ということを教えるのがヒーローだと思うんです。それで「僕たちもそういう風になりたい」と子供たちの憧れになるような存在です。キン肉マンはイケメンのヒーローじゃないですが、そのぶん親近感があって良いと思います。

――最後にファンにメッセージをお願いします。

串田: 『キン肉マン』にはオープニングやエンディングだけではなく、挿入歌も素晴らしい曲が多いので、今後は挿入歌だけでのイベントもやりたいと思っています。これからもよろしくお願いします。 (2007年11月15日、新宿ネイキッドロフトにて)

今沢哲男・川田武範

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オリジナル: 「伝説超人インタビュー (2) 今沢哲男×川田武範」『フィギュア王 No.119』ワールドフォトプレス、2008年1月30日、ISBN 978-4-8465-2701-3、54-55頁。
――まずアニメ版『キン肉マン』のスタート経緯からお聞かせ下さい。

川田: ある日突然、プロデューサーの田宮武さんに「キン肉マンっていう作品をやるよ」と言われて、集英社さんに連れて行かれたのが始まりでした。

今沢: 番組スタート時は僕がオープニングをやって、川田さんはスタジオ現場を仕切っていましたね。

――原作を読まれたのは?

川田: まだ「超人オリンピック編」の前で、超人のキャラクターも少なかったころでした。

今沢: 僕は最初ギャグ作品だと思ってたんですよ。美術の襟立智子さんたちと「キン肉マンの家はトイレの裏にしよう」などと話していたのを覚えています(笑)。

川田: 最初の5〜6本は15分話の2話構成で作ってましたからね。

今沢: 僕は早い段階で作品から抜けてしまいましたが、人気が出てブームになったのはその後なんですよ。なんか僕が抜けたのが良かったみたいで(苦笑)。

川田: TVは原作の流れに沿っただけですよ(笑)。もともと原作者のゆでたまごさんも格闘技スタイルが好きだった訳ですからね。

――ドジなヒーローがプロレスで戦うという、従来にないタイプの原作でしたが、映像化にあたって気を付けた点はありますか?

川田: 息つく暇がないほどに技が続く展開は大変でしたが、原作でしっかり話の流れが作られていたので、それほどの苦労はありませんでした。注意したのは超人たちやキン骨マンたちをどう扱うかという点ですね。

――キン骨マンたちは原作より出番が多かったですよね。

川田: 彼らがいないと尺が足りなくなるんです(笑)。キン骨マンや「牛丼音頭」を入れることで時間経過をごまかしたり、その他にも色々な工夫を凝らしました。それと、アデランスの中野さんリングアナの掛け合いは実にうまかったですね。ちょっとした掛け合いで間を持たせていましたから。

今沢: はせさん治さんのアドリブが絶妙でしたね。「もっとギャグを入れよう」と、台本にない台詞がどんどん増えましたから(笑)。

――アニメ版が原作に追い付かずに済んだのは、それらの工夫があったからこそなんですね?

川田: そういうことです(笑)。これも田宮さんが原作を大切にした結果だと思います。極端なオリジナルストーリーで原作の流れを変えてしまわないようにと。

――実際のプロレスを参考にはされたのでしょうか?

川田: 作画の人たちは観戦していましたね。もともとスタッフにプロレスファンが大勢いましたから。キャラクターデザインの森利夫も『タイガーマスク』(69) から描いていた人間で、大のプロレス好きでしたからね。

――キャスティングでお二人が推薦された方はいらっしゃるのでしょうか?

川田: それは神谷明ですよ!僕と彼は『ゲッターロボ』からの付き合いでして、演技のウラオモテがハッキリ切り替えられることを知ってましたから。それがキン肉マンというキャラクターにピッタリだと思ったんです。

今沢: アニメ版『キン肉マン』の人気は神谷さんの声による部分もありましたね。

川田: そういう意味で彼がキン肉マンに魂を吹き込んでくれたと思います。あと、郷里大輔さんは声の大きい悪役のイメージだったので、超人オリンピックの最大のライバルであるロビンマスク役をお願いしました。でも、すぐに善玉になりましたけどね(笑)。

――当時の製作現場での思い出などはありますか?

川田: 現場は仲が良かった記憶があります。僕はスタジオ・コクピットという会社で、月に2本くらい外注としてやらせてもらっていました。

今沢: 当時の現場はコクピットが仕切ってましたね。

川田: スタッフは弁当を2回分持ってきて、会社に泊まり込んで仕事をしていましたね。仮眠室のような施設はないので、押し入れやお風呂の浴槽に布団を敷いて寝ていたものです。これはうちの会社の伝統になって今でも続いています(笑)。

――人気の裏には相応の苦労があったんですね。

川田: それでもセルの枚数を減らすために、バンクシーンと言って映像の使い回しをしたり、大きな1枚絵をカメラを動かして撮るという工夫もしました。

――あまりセルの枚数が少ないという印象はありませんでしたが?

川田: そうでしょう?それが演出のテクニックです。撮影スタッフには嫌がられましたが、スピード感も出るので、他よりも長いセルや大判のセルを使ったりしていました。今ならデジタルで簡単にできますが、当時は結構大変だったんです。このように『キン肉マン』には様々な工夫が凝らされていたんですよ。

今沢: 撮影シートは僕が見てもわからないほど複雑でしたよ。一枚の絵にカメラワークや撮影指定がゴチャゴチャと書かれていましたから。コクピットのスタッフは常に新しいテクニックを使っていた印象がありますね。

――ところで「牛丼音頭」はどなたが考えたんでしょうか?

川田: 大もとの絵コンテは山吉康夫(※)さんが描きました。それに僕が「最後に牛丼がキン肉マンをどついて反撃する」というギャグを加え、作画監督の高橋栄吉が面白く描いてくれたんです。言わばこの3人の合作ですね。すごく使い勝手が良いので、尺調整や場面転換に頻繁に使いました。

――吉野家のテーマと似ているようで全然違うところが絶妙でした(笑)。

川田: そうですね。最後に「ギュ~」っという効果音を入れることで面白くなっています。当時はこれで「吉野家から牛丼のタダ券をもらえるぞ!」と喜んでましたね(笑)。他にも「スポンサーの名前はなるべく使え」というプロデューサーの意向で、「おっとっと」などの森永製品も画面に出しましたからね。あれは昔の日活映画でスポンサーの商品を宣伝していたイメージだったんでしょう。

――川田さんは劇場版作品にも携わっていますね。

川田: 『キン肉マン 晴れ姿!正義超人』『キン肉マン ニューヨーク危機一髪!』の2本をやりました。あのころは今と違ってスケジュールの余裕もなく、『ニューヨーク~』はかなりギリギリになってから台本が完成したんですよ。スタッフはテレビの仕事の合間を縫って、短いスケジュールで作らなければいけなかったので、そのころの劇場作品はどれも大変でした。また、劇場版ではゆでたまご先生に声優として出演していただくという決まりがあったんですよ。演技がとてもお上手な方でして、神谷さんと打ち合わせをしながらしっかりこなしていたので、セリフも次第に増えていったんです。

――印象に残るキャラクターを教えてください。

今沢: やっぱりキン肉マンですね。こんな顔でよく主役を張ったなぁと思います(笑)。神谷さんが上手く声をあててくれていたから全然違和感がないんですよ。

川田: 僕はウォーズマンですね。あのキャラクターがなぜ印象的だったかと言うと、ベアー・クローで突き刺すシーンが残酷だったので、次第に血飛沫が飛ぶような演出は避けるようになったんです。ただ、それ以外でもギリギリのシーンはありましたね。現在なら間違いなくクレームの投書が届いているでしょう(笑)。あと一番カッコイイと思ったのはテリーマン。そうそう、僕にとっては当時の今沢さんのイメージでしたね。現場にも「テリーマンは今沢さんのイメージで」って伝えてましたから(笑)。

今沢: えっ、本当?初耳ですよ(笑)。

川田: あとは、すぐやられてしまいましたけどベンキーマンが印象的でした。

――原作ではベンキマンの頭上のシンボルはウンコでしたが、アニメ版ではさすがに蛇口に変わっていましたね(笑)

川田: そうそう(笑)。「ウンコはマズイ、ウンコだけはやめてくれ」と言われて変更したんです。トイレに関係ある物と言えば、他には蛇口しかありませんからね(笑)。

――今沢さんは『キン肉マンII世』にも関わられてますね。

今沢: 最初の『キン肉マン』をそれほど長くやっていなかったので、知らないキャラクターがけっこう多かったんですよ。あと当時と比べて絵が上手くなっていたことには驚きました。

――『キン肉マンII世』では「牛丼音頭」に続く「カルビ丼音頭」が登場しましたが。

川田: やっぱり二番煎じだとイマイチでしたね(笑)。

今沢: 手厳しいですね(笑)。

川田: 言ってやった(笑)。

――さて、来年は『キン肉マン』29周年ということでDVD-BOXが発売になりますが。

川田: 嬉しいですねぇ。これが売れたらまた飲みに行けますよ(笑)。

今沢: この機会に山吉さんの追悼をしてあげたいですよね。

川田: 今でも毎月15日には仲間と「山吉がいたらなぁ」と彼を偲んで飲んでいます。彼はコクピットを立ち上げたメンバーの一人でした。作品に登場するギャグはほとんど彼のアイデアなんです。本当は彼なくして『キン肉マン』は語れません。『キン肉マン』の絵コンテや資料などは、会社が引っ越すときにほとんど処分しましたが、彼の分だけは引き出しの中に今でもしっかり保管しています。「彼の机は我々がいる限りは残しておこう」と。

――最後に『キン肉マン』ファンにメッセージをお願いします。

川田: 当時はとても楽しんで作っていました。プロレスの技もいっぱい覚えましたしね(笑)。来年発売されるDVD-BOXもぜひ買ってください。これが売れれば牛丼の大盛り玉子付きが食べられますよ。何しろ当時は食べられなかったんですから(笑)。

今沢: 『キン肉マン』では貴重な体験が色々できました。こんなギャグキャラがプロレスで友情を盛り上げるなんて、今あらためて上手く出来ている作品だと思いました。もっとも、最初はそういう話になるとは思っても見ませんでしたよ。唯一の心残りは「僕が抜けたから人気が上がった」って事ですかね(苦笑)。

川田: だから、それは原作に沿っただけなんですってば!(笑)。

<一同爆笑>

(2007年11月13日、東映アニメーション大泉スタジオにて)

かわだ・たけのり: 1943年6月30日、香川県出身。スタジオ コクピット所属のアニメーション演出家。『ドロロンえん魔くん』(73) で演出デビューし、『UFOロボ グレンダイザー』(74)、『銀河鉄道999』(78)、『ひみつのアッコちゃん』(88年版)、『蒼き伝説シュート!』(93)、『デジモン』シリーズなどの演出を務める。『キン肉マン』では第3話を始めとする幾多の話数の演出、さらには劇場作品2本の監督も務めている。ちなみに牛丼は吉野家と松屋派。

いまざわ・てつお: 1940年8月17日、大分県出身。アニメーション演出家・監督。『グレートマジンガー』(74) で演出デビューし、『一休さん』(75)、『キャンディ・キャンディ』(76)、『太陽の使者 鉄人28号』(80)、『六神合体ゴッドマーズ』(81)、『遠い海から来たCOO』(93)、『怪 ~ayakashi~「四谷怪談」』(06) などの演出やシリーズディレクターを務める。『キン肉マン』第2、9、16、23話の演出を担当し、『キン肉マンII世』にも演出で参加している。ちなみに牛丼は吉野家派。

※山吉康夫: 今沢氏、川田氏と共に本作に携わったシリーズディレクターの一人。『マジンガーZ』(72)、『海のトリトン』(74)、『ベルサイユのばら』(79) などの演出を担当。近年では『おジャ魔女どれみ』シリーズや『ふたりはプリキュア』(04) などを手がける。2006年9月14日、大動脈瘤破裂により永眠。享年64歳。

ゆでたまご

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オリジナル: 「伝説超人インタビュー (3) ゆでたまご」『フィギュア王 No.119』ワールドフォトプレス、2008年1月30日、ISBN 978-4-8465-2701-3、56-57頁。
――まずは『キン肉マン』誕生の経緯からお聞かせください。

嶋田: もともとは小学校4年生くらいのころに、僕がノートやテスト用紙の裏に描いたでたらめなマンガのキャラクターがキン肉マンでした。キン肉マンの「キン」がカタカナなのは、当時「筋」の字がわからなかったからなんです(笑)。

――それが現在まで続いてるわけですね(笑)。

嶋田: やがて4年の3学期に相棒の中井君が転校してきたんです。当時中井君はマンガをあまり読んだことがなくて、僕がノートに描いたマンガを読んで「マンガって面白いな」と言いだし、彼も『キン肉マン』を描きはじめました。当時はよく「盗作や!」ってモメてましたね(笑)。

――現在ではストーリー担当の嶋田先生が、最初にキン肉マンを描いていたとは意外でした。

嶋田: デビューしたころは同じ家に住んで一緒に描いてたんです。でも一つ屋根の下に長く住んでいると、どうしてもお互いギクシャクしてしまうんですよ。それなりに人気が出てきたのに「マンガを辞めたい」という状態にまで陥ったこともありました。それで初代担当者だったアデランスの中野さんが、「仕事場を別にして分業にしたらどうだろう」と提案してくれたんです。僕はアイディア出しが得意だからストーリーを、中井君は絵が上手いので作画を担当することになりました。これが上手くいったんでしょうね。なんだかんだで29周年を迎える訳ですから(笑)。

――同じ二人組の漫画家である藤子不二雄先生は意識されましたか?

嶋田: それはもちろん意識しましたよ。「小学生時代に出会って、二人で上京した」という共通点もありますし、『オバケのQ太郎』や『まんが道』もジャスト世代でしたから。また梶原一騎先生、本宮ひろし先生の作品も好きです。

――ところで「ゆでたまご」という名前の由来は、「ゆで玉子を食べながらペンネームを考えていたから」説と「嶋田先生がゆで玉子のニオイがするオナラをしたから」説の二通りがありますが?

嶋田: 相棒の言っているオナラ説が有力だと思います(笑)。

――『キン肉マン』の特徴である「超人募集」を始めたきっかけは?

嶋田: 最初は「怪獣募集」だった訳ですが、これも中野さんのアイディアなんですよ。ファンレターが来てもなかなか返事を書けないので、「それならばいっそ読者を巻き込んだ作品にしよう」と始めたんです。なるべく小さい子供からの応募を採用し、相棒がアレンジを加えて描いていました。最初は数十通しか来なかった応募が、何百通、何千通と増えました。企画としては大成功だった訳ですが、代わりに普通のファンレターが来なくなったんです(苦笑)。

――これだけ大勢の超人がいると、レギュラーから外されてしまい、引き立て役にまわる超人も出てきますよね。ウルフマンとか(笑)。

嶋田: カナディアンマンスペシャルマンもそうですね(笑)。根気よく描けば彼らも人気が出ると思いますが、そこをスッパリ切ってしまうのが「ゆでたまごの作風」なんでしょう(笑)。

――では逆に、読者人気が高かったために長生きしたキャラクターはいますか?

嶋田: ラーメンマンです。もともとは単なる「中国代表のワキ役」という設定で、大した活躍せずに消す予定でしたが、人気があったので急遽キャメルクラッチでブロッケンマンを倒す展開にしました。「弁髪にドジョウヒゲ」という、どう考えても不細工な顔がカッコ良く見えるんですから不思議ですよね。

――あとラーメンマンって子供に描きやすいですよね。

嶋田: そうですね。描きやすいデザインにすることは、僕たちもキャラクターを作るときに心がけています。

――先生ご自身が好きな超人は?

嶋田: やはりラーメンマンですね。別のマンガにまで発展したので愛着があります。本当は消す予定でしたけどね(笑)。相棒はたしかテリーマンが好きといってました。

――初期のギャグ編には数々のヒーローが登場しますが、お好きなヒーロー番組は何だったのでしょう?

嶋田: やはり『ウルトラマン』ですね。基本的には巨大ヒーローが好きです。好きな怪獣はレッドキングでした。怪獣人形には今もかなりの思い入れがありますよ。

――ところで「ポテロング」や「森永ココア」などのお菓子がマンガに登場していたのは?

嶋田: 実はデビュー当時は原稿料が安くて、二人で折半すると生活なんて出来ない状況だったんです。そのときに森永の偉い方が『キン肉マン』を気に入ってくれてて、「森永の商品を毎週出してくれたら20万円あげる」と言ってくれたんですよ。当時はそのおかげで生活できたようなものです。ですから森永さんには今でも感謝してますよ。後にアニメ化したときにもスポンサーになっていただきましたし。

――物語はやがてプロレス路線に突入しますが。

嶋田: 初期のころにキン肉マンとテリーマンがタッグを組み、アブドーラ猛虎星人とプロレスで戦う話(プロレス大決戦の巻)を描いたんです。この回の人気が非常に高かったので、超人オリンピックを経てプロレスにシフトしてゆきました。僕自身もプロレス好きでしたからね(笑)。ただ、超人オリンピックはもともと「超人がオリンピックのように重量挙げや長距離走をやったら面白い」という発想でした。

――技のアイディアは何をヒントにしているのでしょうか?

嶋田: 本物のプロレスや格闘技を見て考えています。基本的にはキン肉バスターパロ・スペシャルのような、「マネ出来そうで出来ない」ような技を目指しました。『キン肉マン』のキモは技だと思うので、毎回一番気を使いますね。

――技を考えるときはどちらかが実験台になったりするのでしょうか(笑)。

嶋田: 普段は僕が相棒に技をかけていますね(笑)。僕がアシスタントにかけて、それを中井君がスケッチすることもありました。

――あの有名なキン肉バスターの元ネタを教えてください。

嶋田: まったくゼロからの発想で、元ネタになるような技はありません。後にプロレスラーのモハメドヨネ選手や亡くなったサムソン冬木選手が再現しましたが、あれを見たときは本当に驚きました。「実際にできるんやな~」と。

――バッファローマンの「キン肉バスター破り」のアイディアでは苦労されたそうですね?

嶋田: はい(笑)。作中で「キン肉バスターを破れる」と宣言したものの、その方法を何日も思いつかずに悩んだんですよ。それが、たまたまキン肉バスターの絵を逆さに見た中井君が、「キン肉バスターを逆さまにすると、技のかけ手と受け手が入れ替わる」って気付いたんですよ。これによって「6を9にする」アイディアが生まれたんです。

――あまり後先は考えなかった訳ですね(笑)。

嶋田: はい(笑)。それには理由があって、あまり先のことを考えてしまうと、読者に見破られてしまうんですよ。たとえ破綻があっても先を考えず、思い付いたことはその週に全部詰め込んでましたから。

――このころに登場する「超人強度」という設定は?

嶋田: 当時の担当者から「超人の強さが具体的にわかるように数値化したらどうか」と言われたんです。「1000万パワー」という響きがカッコよかったので、まずはバッファローマンを1000万パワーに設定し、キン肉マンや他の超人はその10分の1くらいだろうと考えました。つまり、最初の基準となったのはバッファローマンなんです。「悪魔超人はどれだけ強いか」というのを見せる為でしたから。

――その「悪魔超人」のアイディアはどこから出たのでしょうか?

嶋田: それまで『キン肉マン』には明確な敵と呼べるキャラクターがいなかったんです。ウォーズマンのように残虐ファイトで戦う超人はいましたが、あくまでリング上……スポーツとしての敵でしたからね。そこで明確な敵を考えたんです。

――そうして誕生した悪魔超人は人気でしたね。

嶋田: そうですね。特にバッファローマンが大人気でしたが、僕自身も「もしコイツが仲間になって、新たな敵と戦ったら面白いな」と思ったほどですから。そんな中、担当者がポツリと「バッファローマンは絶対悪い奴じゃない」と言ったんですよ。その一言が最後のミートくんを助けるシーンに繋がりました。

――やがて『キン肉マン』のアニメがスタートする訳ですが。

嶋田: 当時のジャンプは「アニメにしたら本が売れなくなる」という編集長の方針で、ほとんどの作品はアニメ化されていなかったんです。『Dr.スランプ』は数少ない例外でしたね。最近の作家の方は「人気が出たらアニメ化」と考えてるようですが、僕らのころは自分の作品はまずアニメにはならないものと思っていました。実際に『キン肉マン』も連載後すぐにアニメ化の話があったのですが、当時の編集長が断っていたそうなんです。で、4年後になってようやく「東映さんがそこまで言うのなら」と承諾したそうなんです。そこからですね。ジャンプ作品が次々とアニメ化し始めたのは。

――単行本1巻のコメントでは「これでアニメ化、映画化だ……夢だろうな」と書いてましたね(笑)。

嶋田: あれは凄い予言でしたね(笑)。でもアニメ版は当初の視聴率が悪かったんですよ。

――人気が出たのは第2回超人オリンピック編からとお聞きしましたが?

嶋田: 僕は「早めに超人オリンピック編をやってください」とお願いしたんです。だから、最初のギャグ編や「アメリカ遠征編」はかなり端折られていたハズですよ。実は「アメリカ遠征編」ってあまり人気がなかったんですよ(苦笑)。

――かなりプロレス寄りな話でしたね。

嶋田: 海外を舞台にすることで、読者の親近感が薄まったようなんです。皆が知っている会場を舞台にしたほうが良いみたいですね。当時のマンガ界にも「主人公を海外に出したらダメだ」というジンクスがあったくらいですから。

――他にアニメ版に対しての先生からの要望は?

嶋田: そのころの原作はギャグが随分と減っていたので「アニメではギャグをいっぱい詰め込んでください」と言いました。

――そんな中、原作は「夢の超人タッグ編」に移行する訳ですが。

嶋田: これは単純に超人同士のタッグがやりたいと思ったんです。「アメリカ遠征編」が上手くいかなかった理由の一つにタッグマッチがあって、そもそもタッグマッチとは「タッチして交代して戦う」の繰り返しなので、マンガにするとまどろっこしくなるんです。そんなとき、新日本プロレスアドリアン・アドニスボブ・オートンJr.という選手がツープラトン攻撃というものを初めてやり、そのノータッチで二人掛かりで技をかける戦法を見て、マッスル・ドッキングを思い付いたんですよ。つまり、あの二人が居なければ存在しなかった話ですよ。そしてロングホーン・トレインなどの他のツープラトンを考えたとき、「このシリーズはイケる」と確信したんです。

――「夢の超人タッグ編」は「アメリカ遠征編」のリベンジ的な意味合いがあった訳ですね。

嶋田: そうです。最初は当時の担当者も「やめておけ」と言ってました(笑)。

――「超人タッグ編」は悪魔超人を超える完璧超人も登場し、ストーリー展開も多彩でしたね。

嶋田: このときは行き当たりばったりではなく、先の先まで話を考えてたんですよ。たとえば、カメハメテリーマンの交代も初期の段階で決めていました。ただネプチューンマンのパートナーだけは、なかなか思い付かずに苦労しましたね。結局、ビッグ・ザ・武道なんて剣道着を着たただのオッサンにしてしまいましたけど(笑)。

――その後「キン肉星王位争奪編」の発想はどこから?

嶋田: 「キン肉マンが6人いたら絵的に面白いかな?」と思ったのがきっかけです。それに「キン肉マンが本当の王子じゃなかったら?」とも思ったんですよ。実は昔見ていた『赤い』シリーズにあった「病院で子供を取り違える」というアイディアがすごく好きだったんです(笑)。

――この「王位争奪編」が最終シリーズとなりましたが。

嶋田: 実はこの先の展開も考えてはいたんです。それが「未来から来た超人が過去の超人を根絶やしにする」という、今『キン肉マンII世』でやっている時間超人のアイディアでした。

――「時間超人」のアイディアが当時からあったとは驚きです!

嶋田: ところが「王位争奪編」が思った以上に時間がかかってしまったんですよ。途中で僕が腰痛で入院したためさらに長引きましたからね。それで「人気があるうちにカッコよく終わろう」と、大増31ページで最終回を迎えることにしたんです。

――その一方では『闘将!!拉麺男』というスピンオフ作品もありましたが、これはどういった経緯で誕生したのでしょうか?

嶋田: 当時のジャンプには「愛読者賞」という、読み切りを描いて日本一の漫画家を決める企画があり、そこで描いたのが『闘将!!拉麺男』でした。もともとは『キン肉マン』終了後に連載を始める予定だったんですが、「フレッシュジャンプ」が創刊したのでそちらで連載をすることになったんです。

――こちらの拉麺男との差別化のため、『キン肉マン』にはラーメンマンを出さなかったそうですね?

嶋田: 同時期に別の作品に同じキャラを出すのは良くないと思ったんですよ。そこでモンゴルマンという設定を考えました。

――後の作品である『SCRAP三太夫』には、ウォーズマンがバトルマンという名で登場しましたが?

嶋田: そう言えば出ましたね(笑)。主人公と同じロボットという点も大きいのですが、あれはファンサービスと言いますか、読者をビックリさせようと思ったんです。ウォーズマンは人気もありましたからね。

――やがて時代を経て『キン肉マンII世』が始まりますが、この作品がスタートした経緯は?

嶋田: 週刊プレイボーイさんからは最初「『キン肉マン』を描いてほしい」という依頼でした。でも、僕自身は『キン肉マン』はもう描き切ったつもりでしたのでお断りしたんですよ。すると「ではキン肉マンの息子の話はどうでしょう?ヨボヨボになったキン肉マンと息子のジェネレーションギャップのような話を描いてください」と提案されたんですよ。僕はヨボヨボになったキン肉マンという発想は思い付かなかったので、「それは面白い」と思ってお受けしたんです。でも読者にとっては太っていたり自堕落だったりするのは想像出来ても、ヨボヨボというのはかなりショックだったみたいですね。

――現時点での『キン肉マンII世』で印象的なキャラクターは誰でしょう?

嶋田: ケビンマスクですね。初期の『キン肉マンII世』はケビンが引っ張ってくれたようなものですから。あと中井君も言っていたのですが、万太郎とケビンの超人オリンピック決勝は描いててスゴク楽しかったんですよ(笑)。

――新作の構想などはありますか?

嶋田: またスピンオフ物を描いてみたいですね。ウォーズマン目線で見た超人オリンピックとかやってみたいです。

――嶋田先生にとってのヒーロー像を教えてください。

嶋田: 完璧なヒーローよりも、キン肉マンや『必殺仕事人』の中村主水のように、普段はドジでやる時はやるという二面性があるタイプが好きですね。

――そう言えば『必殺仕事人V』に、お二人で出演されてましたよね?「主水、キン肉オトコに会う」(第9話)という回に。

嶋田: 僕も相棒も『必殺』シリーズがすごく好きで、自分では日本一のファンだと思ってるんですよ。で、『闘将!!拉麺男』を連載していたころ、フレッシュジャンプの企画で藤田まことさんと対談をさせてもらったんです。そのとき、藤田さんの目の前で『必殺』シリーズの口上を全部披露したら、「兄ちゃんよう知ってるなぁ」と感心されたんです。それで、「ぜひ出演させてください!」とお願いしたら、後日すぐに台本が送られてきたんですよ。最初はワキ役と思ってたんですけど、その回のメインゲストだったんでビックリしました。京都で2週間も撮影したんですが、すごく楽しかったです(笑)。大槻ケンジさんによると「巷でおバカビデオの上映会があると、あのエピソードがナンバーワンの人気」らしいです(笑)。

――では最後にファンへメッセージをお願いします。

嶋田: 今、連載中の『キン肉マンII世』は今後の展開がスゴイですよ。みなさん楽しみにしていて下さいね。意外なキャラも登場しますからね!

(2007年11月19日、高円寺にて)

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