Copyrighted:オトナファミ 2008 August インタビュー

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オリジナル: 「キン肉マン29周年ヒストリー」『オトナファミ 2008 August』エンターブレイン、2008年7月25日、雑誌26457-7、66-67頁。

原作者ゆでたまご先生インタビュー いまだから語れる当時のエピソード!

ストーリーを担当する嶋田先生に、『キン肉マン』制作秘話を直撃!タッグ作家ならではのエピソードも語っていただいた。

目次

分業制にしなければ『キン肉マン』は続かなかった

――ゆでたまご先生は作画と原作に別れてお二人で作業されていますが、何故そのような手法に?

嶋田 最初は大阪の公団住宅を借りて、ふたりで描いていたんです。ストーリーも画も共同作業で。相棒で画担当の中井義則は小学校からの友達なんで気心もしれていたんですけど……ひとつ屋根の下で住むと、最終的には、箸の上げ下ろしまで腹が立つようになるんですよ(笑)。それで、1回ボクから「もう『キン肉マン』をやめたい」って、連載を始めてホントに間もない頃に思いまして。編集さんに相談したところ、「ストーリーと画を分けてみたらどうか?」と。ボクはストーリーを作るのが好きだったし、中井の方が画は上手かったので、5〜6話目くらいから別々にやりだして、それからはスムーズに進みましたね。

好きなプロレスを流行らせたい

――最初はギャグマンガとしてスタートした『キン肉マン』が、プロレスマンガへとシフトしたきっかけは?

嶋田 元々ふたりともプロレスは好きだったんです。それで、アブドドーラ猛虎星人キン肉マン&テリーマンと戦う、という話をやってみたんです。そのエピソードの読者人気が高かったんですよ。当時はプロレスブームの直前だったので、「これを機に好きなプロレスを流行らせたい」という気持ちもありつつシフトして行ったんです。そのうち実際のプロレスにタイガーマスクが出てきたりして、盛り上がって。キン肉マンの人気には、プロレスとの相乗効果もあったでしょうね。

――プロレス方向にシフトしたことで、苦労したことはありますか?

嶋田 ボクたちのマンガって必殺技がすべてだと思うんですよ。"いかに格好いいワザを考えられるか"という部分は、連載時にすごく苦労しました。ワザの開発のために仕事場にいつもフィギュアを置いていて、それを組み合わせて新ワザを考えて。ふたりで実際にワザを掛け合ったり、なんてこともしてみました(笑)。ボクはね、必殺技を"超人だから何でもアリ"という方向にはしたくなかった。読んでいる子供の視点に立って……学校でマネしたくなるようなワザを登場させたかったんです。キン肉バスターにしても、パロスペシャルにしても、そういう意識があったからこそ生まれたんですね。まあ、怪我をされて問題になったり、なんてこともありましたけど(苦笑)。

――ちなみに先生がいちばん気に入っているワザは何ですか?

嶋田 やっぱりキン肉バスターでしょうね。シンメトリーになっていて綺麗なんですよね。ほかにも色々なワザを考えましたけど、キン肉バスターは超えられなかったですね。返し技のキン肉バスターは、ふつうなら"リバース・キン肉バスター"とかになるんでしょうけど、そこに子供たちの好きそうなウンチクを入れたかった。それで出てきたのが「6を9に」なんですよ(笑)。

なるべく"下手な絵"の超人を採用したんですけれど……

――超人募集も子供の視点を意識しているから生まれたんですか?

嶋田 幼い読者が送ってくれたファンレターに、"この怪獣をキン肉マンと戦わせてほしい"っていうイラストがあって。「返事が書けない代わりに、ファンサービスとしてマンガに出したらどうかな?って思ったんですよ。で、1度やってみたら反響がものすごくて(笑)。はじめは、小学校の低学年とかの子供の絵を採用していたんですね。そしたらハードルの低さを察知してか、大量に来るようになっちゃって。当初のような絵ばかりを採用できないので、「流行りモノを入れていくか」っていうことで、ウォークマンだったり、ルービックキューブだったりっていう、モノだとか電化製品をベースにした超人を採用したりしましたね。そしたら、時事ネタ系やモノ系の超人が一気に増えて、途中からは読者参加型という流れが完全に出来上がっちゃいましたね。その流れができたのは、やっぱり"キン肉マンと戦わせたい"っていう部分が大きかったんだと思います。あのバカキャラと戦わせたら、どうなるか?っていう。

――『キン肉マン』ではやはりバカをやらせることは重要ですか?

嶋田 ボクは今でも『キン肉マン』はギャグマンガだと思っていますよ。プロレスはするけど、基本はギャグっていう部分が重要ですよね。

――主人公のキン肉マンよりも読者の人気投票が高い超人もいましたね。

嶋田 そうなんですよ。だから脇役を主人公にしたエピソードを描きたいなっていう意識が芽生えましたね。当時、"週刊ジャンプ"に愛読者賞という読者の人気投票で決める賞があったんですよ。それに『闘将!!拉麺男』を描いたら、2位だったんですけど、人気があって。フレッシュジャンプの創刊号から連載することになったりしましたね。本当は週間連載したかったんですけども(笑)。

アニメ版にはとにかくギャグを入れてほしかった

――'83年からスタートしたアニメは原作と内容が微妙に違いますが、先生のほうから何かアイデアを足したりしたのでしょうか?

嶋田 いや、アニメ化が決まったときに、「とにかくギャグを入れてください」っていうことをお願いしたんです。だから、アニメ版は非常に遊びが多かったですよね。王位争奪編のときって原作がアニメに追いつかれ始めていて。でもこちらとしては王位争奪編にはまだ手をつけたくないという心情があったので、お願いしてオリジナルエピソードをやってもらったんですよね。でも、気付いたらアニメが終わっちゃっていて(笑)。まあ、後に復活して王位争奪編ができた訳なんですが、原作者としてはあのときヘンに王位争奪編に手をつけなくて良かったと思います。手をつけていたら、毎週過剰に引っ張って、いいアニメ作品にならなかったと思いますから。

ブレイクを感じたのはキンケシが最初でした

――今回発売されるDVD-BOXに付いているキンケシも一世を風靡する大ブームになりましたね。

嶋田 近くのデパートに行ったとき玩具売り場にガチャガチャがあって、子供がすごく並んでいるんですよ。「何にこんなに並んでいるのかな?」と思って、自分も並んでみたんです(笑)。それで、いざガチャガチャの前にたどり着いたら、自分の描いているキン肉マンのだった。その時に"これは何かが来るぞ!"って、体が震えましたね。

――そういったヒットの手応えは連載時ではなかったですか?

嶋田 そうですね。キンケシのときが初めて受けたショックだったと思います。もちろんその後、毎週何万通って来る超人投稿でも感じましたけどね。実はね、あの投稿で本当に床が抜けたんですよ。連載して4年ぐらい経っていたころかな?まだクリーニング屋の2階に下宿していたんですよ。そこに投稿が詰まったダンボールの箱が毎週のように届いて。それを置いていたら床が抜けて。それで下宿をやめて引っ越すハメになったんです(笑)。

――29周年記念に対してどんな感慨を抱いてらっしゃるのでしょうか。

嶋田 人の額に"肉"とか"中"の字を落書きするような大ブームになるとは思っていなかったし、キンケシも今のフィギュアとは違ってカラーも単色、手足が動くわけでもない簡素なものなのに一生懸命遊んでくれたり……。今でもカラオケで超人の歌を歌ってくれる人もいますし、本当にありがとうって言いたいですね。そのときに応援してくれた読者の期待に応えられるように、いま連載している『キン肉マンII世』でも、アッと驚くようなことをしますので、楽しみにしていてください。

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