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オリジナル: 「日曜日のヒーロー 第633回 原作者ゆでたまご・嶋田氏が振り返るキン肉マン29(にく)周年」『日刊スポーツ 東京版』日刊スポーツ新聞社、2008年8月24日、30面。

小学4年生の3学期、でたらめに描いた落書きがそのまま人気コミックになった。漫画「キン肉マン」の作者ゆでたまご。小、中、高校と同級生だった嶋田隆司氏 (47) と中井義則氏 (47) のコンビだ。漫画家を目指し二人三脚で歩んでから37年、1979年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載が始まって今年は29(ニク)周年。87年に終了したが、98年に「週刊プレイボーイ」で「キン肉マンII世」として復活し今も続いている。人生の半分以上を占める、切っても切れないキン肉マン人生を嶋田氏が語った。

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活気ある商店街が続く東京・高円寺。そんな一角にあるすし店が指定された場所だった。仕事場が近いというのが理由だったが、約束の場に姿を見せたのは嶋田氏だけ。

「すみません、相棒(中井氏)はあまり出たがらないんで。取材はいつも僕だけなんです」。

こちら側はカメラマンと2人。プロレスのタッグマッチなら、ゴングが鳴る前から1対2のハンディキャップマッチだ。だが、そんな心配をよそにインタビューというバトルはすぐに熱を帯びてきた。

「29年も書き続けるとは思わなかった。コンビを組んでからだと37年。キン肉マンも相棒ともこんなにずっと付き合うとはね。三人四脚ですね」。

ゆでたまごと聞けば、やはりキン肉マンだろう。いったいあのキャラクター、どんなモデルから誕生したのか。

「特にないんです。小4ででたらめに描いた落書き。ちょうどウルトラシリーズを『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』まで見ていた。いわばウルトラマンのパロディーというかドジ版。人間の筋肉の動きとか面白かったので、勝手に命名しました。筋肉のきんが漢字で書けず、カタカナにしましたけど」。

当時、小学生たちの間では楽しい漫画やアニメ、テレビドラマがあふれていた。梶原一騎の「タイガーマスク」に「巨人の星」、手塚治虫の「ガムガムパンチ」、テレビドラマなら「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など。漫画のヒントになるとは思わず夢中になって見ていたという。ただ、それらが自然と作風にも生かされていると言う。

「創造は記憶の産物ですから」。

2人は小4のときに出会い意気投合。中学生の頃には、絶対漫画家になると決めていた。

「学校中に知れ渡っていました。2人で次はどの賞に応募しようかと言い合ってました。就職すると漫画家にはなれないし。時間稼ぎで高校に行きました。自分にプレッシャーをかけることも必要。意地でも成功しないと道はない。友達が読者で、学校は漫画家になるための準備期間でした」。

高3で赤塚賞に準入選してデビューの道が開ける。

「ジャンプの担当者が親を説得に来たんです。珍しいケース。逆に出版社に持ち込む人は多いんですけど。芽が出なかったらどうしてくれるのかという親に、『駄目なら就職の世話をする』と言ってくれました。これには後日談があって、20周年記念パーティーで当時の担当者が『あの時、就職のあてなんてなかった』ですって(笑い)」。

デビュー1年目、中井氏は上京したが嶋田氏は大阪にいた。

「2人で上京して駄目になったらという怖さがありました。みんなは東京ってあこがれるかもしれませんが、東京では友達は中井君しかいない。最初の1年、自分が原作を航空便で送り中井君が見て電話で打ち合わせする。電話が長くなって代金がかさむし、中井君が仕事をやりにくそうだった。結果的には東京に出て正解。近くに編集部があったから自分の漫画が人気があるかないか分かる。空気を感じるようになりました」。

そんなコンビ、ひょんなことから今のペンネームになった。

「諸説あるのですが、僕があるときおならをしたら硫黄くさかった。相棒が『ゆでたまごみたいなにおいやな』と言って決まったようです」。

当初ヒーローものをパロったギャグ漫画として動き出したキン肉マン。その後、超人オリンピック編からプロレスのシーンが多くなり始めた。結果的にバトル系への路線転換がヒットへの道筋だった。

「ヒントはプロレス夢のオールスター戦(79年8月、G馬場A猪木組対アブドーラ・ザ・ブッチャータイガー・ジェットシン組)です。それをモデルにしてキン肉マンテリーマン組対アブドドーラ猛虎星人組を描いたら評判がよかった」。

漫画ではプロレスや超人の筋肉の盛り上がりがしっかり描かれている。

「中井君は筋肉の描写がしたいからと、ボディービルダーを呼んでプロレスのポーズと動きをしてもらいました。プロレスと筋肉の動きに関しては徹底的なリアリズムなんです。僕もプロレスはしょっちゅう見に行ってました。仕事だと思っています」。

リアリズムな描写にこだわる一方、「ギャグはアドリブ。行き当たりばったりだ」と言う。

「読者も先の展開を見越している。想像通りに話が進めばつまらないじゃないですか。水戸黄門のような予定調和なんて面白くない。むしろ『あそこがおかしかった』と突っ込まれれば突っ込まれるほど面白い。ネットとかで書かれても気にしません」。

そんなキン肉マンの二面性。意外な人気テレビ時代劇がヒントになっている。

「キャラの参考は『必殺シリーズ』の藤田まことさんが演じた中村主水です。昼あんどんで嫁としゅうとめに頭が上がらないけど、殺しのシーンは格好いい。キン肉マンも普段はドジで闘いから逃げてばかりだけど、試合になると火事場のくそ力を発揮する。受験戦争で努力を強いられた反動か、読者のうっぷんをキン肉マンが晴らしてくれたようです。だから格好良く書く必要はなかった。ライバルに勝ったときに格好良くなればいい」。

好きな食べ物も牛丼と意表を突いた。

ポパイのホウレンソウ、ドラえもんのどら焼きじゃないけど、キャラ付けには好きな食べ物が必要なんで相棒がデータで書いたんです。肉とリンクしているじゃないですか。モデルは吉野家の牛丼と思っているでしょうけど、実際はなか卯。コミックの1巻を見てもらうと分かるんですけど、うどんがメニューにありますから」。

79年の連載開始から、経営難の吉野家の復活に貢献したとして「特製どんぶり」を贈られるなど、数々の社会現象を巻き起こし87年に終了。その後98年から「週刊プレイボーイ」で「キン肉マンII世」として復活した。昭和時代のリバイバルブームのある種、先駆け的な存在となった。

「担当者からキン肉マンの息子の話はどうかと持ち掛けられました。最初は5回の読み切りだったけど、世間が読みたがっているのだから応えた方がいいと再開しました。もう、人生そのものですね。相棒と話をするようになったのも、自分が描いたキン肉マンから。自分たちを光らせてくれた。不思議な存在ですよね。

ところで、社会現象として記憶に残るキン肉マン消しゴム(通称キンケシ)。2人とも持っているのだろうか?

「中井君は全部近所の子供たちにあげてしまった。きちょうめんで仕事場もきれい。今ごろになって買い求めてますけど。僕のところ? ありますよ。でも、仕事場はぐちゃぐちゃなんで、どこにあるのやら。仕事場は別々で週に1回集まって打ち合わせします。性格が正反対だけど、長続きするにはそれがかえってよかったのかもしれませんね(笑い)」。


テレビアニメでキン肉スグルの声を担当した声優・神谷明 (61)

キン肉マンは、声優人生で初めて取り組んだ本格的三枚目キャラクター。しかし本質的には二枚目で、強さと優しさも兼ね備えている。こんな牛丼のうまさにも勝るキャラクターに出合えたことが幸せでした。あとはゆでたまごワールドというテーマパークで楽しく遊ばせていただいたという感じ。ぜひ「キン肉マンエピソードワン」で再び競演したいです。現在の僕の礎を築いてくれたことに感謝してます。

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