Copyrighted:ゆでたまご先生のキン肉トーク
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オリジナル: ゆでたまご「ゆでたまご先生のキン肉トーク」『キン肉マン超人大全』集英社〈ジャンプコミックスセレクション〉、1998年7月22日、ISBN 978-4-8342-1677-6、36-45頁。 |
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かつて「週刊少年ジャンプ」誌上で一時代を築き、社会現象にまでなった『キン肉マン』。ついに実現したゆでたまご両先生(嶋田隆司・中井義則)のスペシャルトークで、その当時の知られざるエピソードが明らかに!
目次 |
1 『キン肉マン』以前!二人の出会いは!?
- 平成10年某月某所にて、現在、、「週刊プレイボーイ」誌上で『キン肉マンII世』を大好評連載中のゆでたまご両先生から『キン肉マン』連載当時の裏話を聞くことに成功した。なお、当時の話をより盛り上げるために、当時の担当・M氏、T氏にもお越しいただく運びとなった。
- ――本日はよろしくお願いいたします。さっそくですが、まず最初にマンガを描く前、お二人が出会われたきっかけを教えてください。
嶋田: えーとですね、確か小学校の4年生の時に相棒(中井)が転校してきたんですよ。
中井: うんそう、確か4年の3学期だったよな。で、当時からマンガを描いてたんですよ。大学ノートとかに。
嶋田: それが面白くてねー。
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- ――では、それから中学、高校とずっとご一緒だったんですね。その頃から、もう役割分担(原作、作画)は明確だったんですか?
嶋田: うーん…投稿し始めた高校生の頃からですかね。
- ――どうして分担されるようになったんですか?
嶋田: そうですねえ、結局、相棒の方が絵がうまくなったってことですかね。
中井: そんなことはないけど。最初は1冊の大学ノートに鉛筆描きでお互いの作品を描き合っていたんですよ。特に小、中学校の時によくやってました。
嶋田: そうだった。そうだった。当時、自伝も描いたわ。
- ――自伝ですか?
中井: そう、自伝です。まだ、小学校なのに…です。
一同: (笑)
- ――当時から「ゆでたまご」というペンネームだったんですか?
嶋田: いえ、二人の名前を合わせたようなペンネームでした。で、今度ジャンプに応募する時は、ペンネームを変えよう!ってことになって。
- ――「ゆでたまご」っていうのはどういう理由でつけられたんですか?
中井: これは、子供たちが覚えられる簡単なものにということで。
嶋田: 今までヘンに変わったのとか、本名みたいなのとかの作家さんが多かったじゃないですか。だから、とにかく簡単なモノにと。
- ――それはお二人の発案ですか?
画像: 牛丼をがっつくキン肉マン。
連載当初のキン肉マン。ボロ小屋に住んでいて、好物は牛丼だった!!
中井・嶋田: (声をそろえて)そうですね。
- ――当時の作品は、わりとギャグが多かったようですが?
中井: いや、両方描いてましたけど…。手塚賞には、プロレスを題材にした『マンモス』という作品を応募しました。
- ――ネタ的にはプロレスとか格闘モノが多かったんですか?
中井: そうですね。特別に意識はしてなかったですけど。当時、プロレスが大人気で、すごかったですからね。
2 いよいよジャンプへ!連載のいきさつとは!?
- ――それで、いよいよ週刊少年ジャンプ(以下、WJ)の方で描くことになったんですね。きっかけはどういうものだったんですか?
中井: ええ。最初、16歳の時に赤塚賞に応募したんですよ。ギャグマンガで。
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嶋田隆司 『キン肉マン』の原作担当。昭和35年10月28日生まれ。大阪市西淀川区出身。幼稚園の頃は、きかん坊で、女の子をよくいじめていたとか。テレビと、もちろんマンガが大好きで自分でも描いていたという。
中井義則 『キン肉マン』の作画担当。昭和36年1月11日生まれ。大阪市西成区出身。小学校入学前からの野球好きで、将来の夢はプロ野球選手だった。やはり、昔から絵を描くことが大好きで現在に至る。
それが選外で、その後に手塚賞、赤塚賞、一緒に応募して。
嶋田: 最初は『キン肉マン』じゃなかったんですよ。赤塚賞に『ゴングですよ』っていうプロレスマンガを描いて、それで手塚賞に『マンモス』っていうのを描いたんです。そしたらNさん(ゆでたまごの初代担当)から電話があったんですよ。当時、Nさんはまだ、月刊少年ジャンプの編集でした。読み切りを描かないかって言われまして。まだその時は手塚賞も赤塚賞もとってなかったんですけど。…で、とりあえずネームを作って、Nさんに送ったら「こりゃー、だめだな!」って言われましてね。
一同: (笑)
嶋田: で、Nさんを通さずに賞に応募したらええ、…と勝手に応募したら、またNさんから電話があったんです。「おお、見たよ。まあまあだね~。でも賞とれるかどうかは微妙な線だね」って。
中井: そしたら準入選で。
- ――当時のWJって、70年代の終わり頃で、上り坂って勢いでしたよね。やっぱりそういう所で描きたいと?
中井・嶋田: そうですねえ。
嶋田: はい、賞金も多かったんですよ。WJが一番だったんですよ。賞金が50万円。いや100万円だったっけ?
中井: 『キン肉マン』の時の入選は100万円でしたよ。
(※先生は昭和53年、『キン肉マン』で赤塚賞の準入選に選ばれました)
嶋田: じゃあ、準入選でも50万円かと思ったら20万円しか出なくて…。
一同: そんなに差があったんだ(笑)。
嶋田: ええ、ケチったなと思いました。
- ――『キン肉マン』を描かれたのは高校生の時ですよね。わりと早いデビューだったんですね。
中井: ええ、まあ。でも、一回増刊に読み切りを描いたんですよ。WJの増刊だったかなあ~。その時、NさんがWJにいたんで。
嶋田: それから『キン肉マン』は何かアイデアはあるのかって聞かれて、「そりゃー、いっぱいあります」って答えました。…で、即、連載ってことに。
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あと『キン肉マン』が赤塚賞で準入選した時のが、WJに掲載されまして、評判がよかったんですよ。
- ――昭和54年5月からWJで連載だったんですね。
嶋田: もう、高校を卒業してすぐです。
中井: ぼくは高校の授業中に描いてましたもん。
嶋田: サインの練習もしてたもんな。
中井: そうそう!(笑)
- ――実は、もう就職が決まっていたとか聞きましたが?
嶋田: ええ。Nさんにひっくりかえされましたよ。決まってんだったら一緒に断りに行ってあげるよって。結局、自分たちで行きましたけど。
中井: 何か問題があったらWJに相談するってことで。もし、連載が続かなかったら、WJで就職の世話をしてあげるよ、とも言われました。
- ――では、もし『キン肉マン』の連載がなかったらお二人は何をされてたんですか?
嶋田: ぼくはカーテンレールの会社でした。
中井: ぼくはデザイン会社でした。
3 ギャグから格闘へ!超人オリンピック秘話!!
- ――超人オリンピックの前、ギャグが続きました。これはギャグ路線でいきたかったということですか?
嶋田: そうですね。赤塚賞の流れだったんですよ。
画像: オリンピック開会式、キン肉マンの入場。チューリップ。
1回目のオリンピック。やっぱりヘン!?
中井: 人気もかなりよかったんですよ。
嶋田: 一回目のオリンピックもギャグ的でしたよね。
- ――ではギャグから格闘ストーリーへの移行は、お二人の中では自然な流れだったんですね。超人オリンピックをやったのは、どんな理由で?
嶋田: テリーマンとかキャラクターの数が増えてきた時、ちょうどモスクワオリンピックがあったんですよ。超人たちでオリンピックをやったら面白いものになるだろうって。重量挙げをしたり、走りっこだったりの "競技" を。
- ――プロレスとか格闘技ではなくてですか?
中井: ええ、あくまで競技をやりたかったんです。結局、格闘トーナメントをしたりしましたが…。
- ――最終的にそうなりましたね。それが評判もよかったと。で、徐々に格闘モノになったわけですね。
嶋田: そうですね。とにかくプロレス
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をすると評判がよかったんです。一回、超人オリンピックをする前にシーク星人とアブドーラ、キン肉マンとテリーマンが戦ったのがよかったんですよ。
- ――その後にアメリカ編ですか。そこでちょっとシリアスな話になって…。
嶋田: ……あれはちょっと、大人向きになりすぎちゃいましたね。今思うと。あんまりギャグばかりやっていると、少しハードな路線に持っていきたくなるんですよ。それでああなってしまったんですよね。
- ――ええ。相手のキャラも実際のプロレスラー的でしたね。で、その次に二回目のオリンピックと…。そこでMさんが担当になったんですね。
M氏: そのちょっと前ですかね。競馬場に取材に行ったのを覚えてますから。
中井: あっ、タクシーに乗って首都高で車停めて写真撮ったヤツ。しかも高速の上でですよ!
一同: ひどいねえ!(笑)
嶋田: 二回目のオリンピックやるっていっても、心配だったんですよ。作品も人気落ち始めて…。二回目にかけるしかなくって。Nさんも「来年はWJには君たちいないなあ」なんて言うし。
中井: けっこー冷たいんですよ。
- ――Mさんからのゆでたまご先生の最初の印象はいかがでしたか?
M氏: 私たちの学生時代の一番はチャンピオンだったんですよ。二番がマガジン、三番がサンデーでジャンプは最後まで読まなかったんです。そのジャンプに配属されて、どうしようかと…。でも一回目の超人オリンピックは面白くて、会社で涙しましたね。
- ――担当して、どういう感じに話をもっていこうと?たとえばプロレス色を強くしようとか。
M氏: いえ、特に。でも先生たちと打ち合わせの時、思い出すのは、互いに大人なんだけど、しゃべってる内容はまるで小学生みたいに、あーしたらいいとか、こうしたらいいとかでしたね。喫茶店で、ずうたいがデカイ小学生がしゃべってる。そうした中で方向が決まったていうか。
嶋田: 打ち合わせらしい打ち合わせはしてないですよ。こっちがオリンピックの話をしたいのに、全然違うこと考えている。昔のプロレス
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ラーのジャッキー・パロのパロ・スペシャルってすごいね。…って調子で。ウォーズマンの技の話で…。
- ――それでパロ・スペシャルがウォーズマンの技に?
嶋田: そうです。ウォーズマンなのにパロ・スペシャルって変でしょ。しかも後で写真見たらMさんの思っていたのと全然違うんですよ。
中井: ぼくは、ずっと編集部の執筆室で描いてたんで、Mさんにはよく面倒を見ていただきましたね。
- ――中井さんはほとんど編集部に常駐してたんですか?
嶋田: 家なかったもんな。(笑)
中井: いや、あったけどな…。3年くらい編集部で描いてましたね。
- ――他の作家さんで編集部にいらした方は?
- ――同期の方ではどなたがいらっしゃいましたか?
中井: 宮下あきらさんとか、半年遅れて鳥山明さんとかですね。鳥山さんがデビュー前に執筆室に遊びにきた時、鳥山さんが「連載するんですけど、不安なんだけど、できるかなあ~」とかっておっしゃってましたよ。一応、半年先輩なもので、一緒にカツ丼食べて「大丈夫だよ!」って言いましたね。
4 キン肉ブーム、ついに爆発!!
- ――オリンピックが終わり、7人の悪魔超人編以降、善対悪という概念が出ましたね。敵が悪として強くなるにつれ、人気も出ました。善対悪という路線は狙ってのものだったのですか?
嶋田: そうですね。はっきり敵とわかるような。読者からの超人応募が多かったので、できるだけ使っていこうと。
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画像: キン肉マンのパワーを吸い取るバッファローマン。
悪魔超人との闘い。何度もピンチが!
- ――黄金のマスク編から担当がTさんに変わったんですね。
T氏: そこで事件が起こったんですよ。超人募集のハガキを全部なくしちゃったんですよ。タクシーの中に置き忘れたんです。
中井: それも、もう選んだヤツを!
T氏: もう一晩寝られなかったですよ。結局、タクシーの運転手の人が届けてくれましたけどね。いやー、ヤバかったですね。ホント。
一同: (笑)
嶋田: Tさんとは週に三、四回は打ち合せしました。当時まだファックスとかない頃でしょう。原稿を取りに来てもらったり、一緒に相棒のとこに行ってもらったり。
T氏: ホント大変だったよね。今、思えば…。何時間もずっとやりましたね。神話とか伝説とかでっちあげて。あと、印象的なのが彼(嶋田氏)が住んでたアパートが近所の小学生に、「ここがゆでたまごの家」だってバレてたんですよ。仕事中にドアをドーンドーンってたたいて「サインくれー」って。
嶋田: いやー、まいりましたね。
中井: あとTさんには原稿をよく取りに来てもらいましたね。その時、一度、原稿上がってたのに、とぼけて「いや、まだなんですよ」って言ったんです。そしたらホントに真っ青な顔になって。「ホントはできてますよ」って言ったら、すごく怒られましたね。
- ――その頃からアニメが始まって、キン肉マンの消しゴムとかのキャラグッズが出て「キン肉マン」ブームが起こりました。それについては?
嶋田: 肌では感じるところはなかったんですよ。マンガの方の仕事づけでしたから。TVとか取材に来られた後になって、その時の状況がわかったって感じですね。
中井: アニメやる前にキン消しが出たんですよ。そんなに売れるとは思ってませんでしたよ。それがニセモノで「ブタ肉マンとかいうのも出ましたよね。
- ――作品がビッグになると、色々な問題が起こるんですねえ。
5 人気絶頂のまま連載終了へ…。
- ――話は超人タッグ編になりますが、これは、ぜひやりたかったと聞いたのですが?
嶋田: 合体技を出したかったんです。当時プロレスでもアドリアン・アドニ
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スとボブ・オートンJr. がマンハッタンドロップをやってたんです。かっこいい、これならいける!ってわけで。
- ――それでマッスル・ドッキングとかができたわけですね。普通のプロレスを超えた面白さがありましたね。
嶋田: ええ。タッグ編というのはずっとやりたかったアイデアだったので、ノリノリで描いていたのをよく覚えています。
中井: あの頃が一番よかったですよ。
T氏: ちょうどWJでも、巻頭カラーでやって。ポスターつけたのもそれに合わせたんです。今思えばマスク狩りポスターなんて詐欺みたいでしたけど。
中井: 発売日の午前中に本が売り切れたとか。でも、読者怒ってましたね。
※(ポスターにキン肉マンの素顔はハッキリとは出ませんでした。)
画像: ロビンマスクにクロス・ボンバー。
多くの超人のマスクが狩られていった!
- ――ストーリー的には順調に進んだんですね。で最後に王位争奪編ですね。運命の王子が5人いたっていう。よりスケールも大きくなってストーリーも一番長くて。
嶋田: まず、キン肉マンと瓜ふたつの超人が複数いてバトルしたら面白いだろうな、と思い、それが赤ん坊の取り違えのアイデアに結びついたんです。キン肉マン自身もブタと間違われて地球に捨てられたとかで、本当の子供かわからないじゃないですか。そういうのもいいなーと思って。
中井: あの時はフェニックスマンとかのキャラクターもオリジナルで作ったんですよ。忙しかったけど。
- ――その頃が一番つらい時期だったんですか?
嶋田: 『闘将!!拉麺男』もやってましたから。ひと月の内、2日くらいしか外に出れないんですよ。
中井: 細かいスケジュールをTさんが作ってくれて。ここで何時に仕事が終わって、何時まで眠ってとか。
- ――それは守られたんですか?
嶋田: いえ、かなり遅れました。でも原稿を落としたことはなかったですよ。
- ――そこらへんの仕事の苦労話をもう少しお願いします。
中井: ぼくのスタッフは、もうカンヅメですよ。家に帰らず、寝食を共にしてました。もう合宿状態ですね。何がなんだかわからなくなりました。
嶋田: 今考えるとすごかったですけど、
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当時ホントにマンガがやりたくて。だから当たり前のことでしたね。
- ――王位争奪編で連載終了になりました。終了のいきさつは?
中井: 人気が少しずつ下がってきたんです。
嶋田: すごく落ちこみましたね。
中井: 当時のWJ漫画家の美学があって、作品がボロボロになるまでやらない。ちょっとでも人気が下がったらやめようと言ってたんですよ。
- ――話もちょうどくぎりでしたね。
嶋田: 『キャプテン翼』とか『北斗の拳』とかの人気が出てきて。
中井: とにかく毎週がライバル作品との戦争でしたからね。
T氏: そういえば、『キン肉マン』って男性ファンは多いけど、女性ファンって少なかったね。
M氏: 女の子からのファンレターってあんまりなくて、ちっちゃい男の子からの鉛筆描きのハガキばっかりだったもんなあ。
中井: バレンタインのチョコも『キャプテン翼』にはすごいきてたのに…。
画像: ポーズを決めるキン肉マン。
キン肉マンの表情がカッコいい!!
6 連載終了から10年、そして……。
- ――昭和62年まで、まる8年ですね。終わってみてどうでしたか?
嶋田: 休みたかったんですけど、3か月後に新連載が始まることになって。
中井: 妖怪マンガが始まるぞーって予告を編集部が勝手に!
- ――キン肉マン以外の話も描きたいという気持ちはあったんですか?
嶋田: そうですね。『闘将!!拉麺男』はやってたんですけど。
中井: ええ。髪の毛のあるキャラを描きたくて。キン肉マンは髪も眉毛も耳もなかったですけどね。今の『キン肉マンII世』はありますけど。
- ――ゆでたまご両先生の「私にとってのキン肉マン」っていうのはどういうものですか?
中井: 本当のマンガを描くきっかけになりましたね。『キン肉マン』で本当のマンガを描き始めて、『キン肉マン』でプロになって。『キン肉マン』でヒットさせてもらって。『キン肉マン』で悩む時期があって、『キン肉マン』で帰ってきたものがある。そうした不思議なマンガでしたね。
嶋田: 相棒の言った通りですね。もう描かないつもりでしたけど、『II世』の企画が来てまたやってみたくなって。
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- ――10年たって、『プレイボーイ』で『キン肉マンII世』というかたちで復活されましたね。その抱負は?
中井: 前作の持っている遺産というか財産を潰すようなことはしたくないですね。それを超えるような作品にしたいですね。プレッシャーもありますけど。
- ――『II世』を描きたいと思ったことはあったんですか?
中井: 思ってもみなかったですね。
嶋田: そうですね。企画が来た時、ヨボヨボのオヤジになったキン肉マンってイヤでしたけどね。太ったキン肉マンは想像できたんですけど。でも、いざやってみると当時の感覚に戻って、当時描いた時のいいフォームが思い出されていいですよね。言葉にできないけど、なんか不思議ですね。次回は真弓編をやりますよ!『キン肉マン以前』っていうのを!スターウォーズみたいな(笑)。
中井: スペースオペラみたいに!(笑)
- ――全3部作ですか(笑)?…プレイボーイに描いている場所が移り、読者の年齢層が変わりました。そこで気をつけていることはなんですか?
中井: (なぜか嬉しそうに)ヘアヌードが載ってるんですよね!
嶋田: 辺見えみりさんとか榎本加奈子さんと人気対決するんですよ。それを打ち破ってこそですよね。
- ――プレイボーイはグラビアの人気が高いですからね。
中井: ライバルが変わりましたね。昔は『キャプテン翼』とか『北斗の拳』だったんですけどね(笑)。
- ――プレイボーイでも超人募集をしました。かなりの数が来てたけど、当時はどれくらい来てたんですか?
嶋田: 10万通以上ありましたよ。それを全部見ました。一枚残らず。
- ――当時のジャンプと一緒に歩んできた『キン肉マン』でしたもんね。…残念ですが時間ですか。以上で本日の対談を終わらせていただきます。今日は本当にありがとうございました。
- 以上でスペシャルトークは終了。この席で、編集部は、ゆでたまご両先生が現在執筆中の『キン肉マンII世』が前作を超える大ブームを起こす作品になるであろうことを確信した!!